当社の由緒は、社伝によりますと建保四年(1216年)の春、大友家の身内小野和泉守高村が牧口の地(現在地の下方玖珠川流域)に鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりといいます。
永徳三年(1383年)飯田郷地頭麻生上野守氏貞が、社殿を修築しますが、そのわずか四年後、嘉慶元年(1387年)、玖珠川の大洪水で牧口の地は皆流失してしまい、翌二年、田中山(現在地)に社殿を造営しました。
文安三年(1446年)春、阿蘇大宮司宇治朝臣惟忠により社殿が改造され、文明四年(1472年)卯月には、同じく惟忠が重ねて社殿を造営しました。現在の本殿は、享保十一年(1726年)に、拝殿は嘉永年中(1850年頃)に作られたものです。